大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和46年(オ)179号 判決 1972年2月18日

上告人

ヒロス化工株式会社

右代理人

磯崎良誉

被上告人

日本電化工業株式会社

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人磯崎良誉の上告理由第一点および第二点について。

本件建物から発生した火災は、上告会社の従業員が本件建物二階の上告会社事務室で使用していたストーブの残り灰を処理する際、漫然、これを同じく二階においてあつた原判示の木箱に投げ入れたまま放置したため、右残り灰の余熱によつて徐々に右木箱の底板等が燃焼し、やがて木箱の据えてあつた床板を焼き抜いてその火が階下に落下し、階下にあつた可燃物に燃え移つたことにより発生したもので、その結果、本件建物を原判示の程度にまで焼燬するに至つたものである旨の原審の事実認定は、原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の挙示する証拠に照らして是認しえないものではなく、その認定判断の過程に所論の違法は認められない(もつとも、論旨援用の甲八号証によれば、所論のように、本件火災の発生当時には、原判決にいう大部屋の部分が上告会社の事務室として使用されていて、前示ストーブは木箱に近接しておかれていたこと、原判決は、上告会社において本件火災後二階北西部分に移動した事務室の位置を火災当時の事務室の位置と誤認した結果、ストーブの位置を誤つて判示したことが窺われなくはないが、このことは、いまだ原判決の結論に影響を及ぼすことはできない。)。してみれば、本件火災の出火原因について原審の認定を争う所論は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を争うことに帰し、採用するをえない。

以上の認定事実によれば、本件建物の賃借人である上告会社としては、その責に帰すべき事由による保管義務違反があつたものとして債務不履行の責を免れえないことは、原判決の説示するとおりである。

そして、賃借人がその責に帰すべき失火によつて賃借にかかる建物に火災を発生させ、これを焼燬することは賃貸人に対する賃借物保管義務の重大な違反行為にほかならない。したがつて、過失の態様および焼燬の程度が極めて軽微である等特段の事情のないかぎり、その責に帰すべき事由により火災を発生せしめたこと自体によつて賃貸借契約の基礎をなす賃貸人と賃借人との間の信頼関係に破綻を生ぜしめるにいたるものというべく、しかして、このような場合、賃貸人が賃貸借契約を解除しようとするに際し、その前提として催告を必要であるとするのは事柄の性質上相当でなく、焼燬の程度が大で原状回復が困難であるときには無意味でさえあるから、賃貸人は催告を経ることなく契約を解除することができるものと解すべきである。

本件についてこれをみるに、原審の確定した前示事実関係によれば、上告会社の過失の程度および本件建物の焼燬の程度は、いずれも極めて軽微とはいえず、他に特段の事情は主張、立証されていないのであるから、原判決が被上告会社のした契約解除の意思表示の効力を認めた判断はもとより正当として是認できるのであつて、原判決になんら所論の違法はない。論旨は、いずれも採用することができない。

同第三点について。

賃貸建物の焼失が賃借人の責に帰すべき失火に因るものであるとの主張事実に基づく、建物返還義務の履行不能を理由とする賃貸借契約の解除の主張と建物保管義務の不履行を理由とする右契約の解除の主張とは、ひつきよう、法律上の見解の表現における差異にとどまり、別個の事実の主張と解すべきではない。したがつて、前者の主張について成立した裁判上の自白は、後者の趣旨において契約解除の意思表示がなされたとの事実の自白に及ぶものと解すべきである。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(村上朝一 色川幸太郎 岡原昌男 小川信雄)

上告代理人の上告理由

原判決は、左記の理由により破棄されるべきである。

第一点 原判決には、法令の違背(民法五四一条、六一二条の解釈、適用の誤り)があり、右は判決に影響を及ぼすことが明らかである。

一、原判決は、「当裁判所の事実認定およびこれに対する判断は、次のとおり改め、または附加するほかは、原判決と同様であるから、その理由(一)ないし(五)を引用する」と判示する(原判決の理由の一の冒頭)。そして、原判決の引用する第一審判決の理由の(四)は、次のとおりである。

「以上認定のとおりとすれば、被告は賃貸借人として、本件火災につき、保管義務違反の責任を免れ得ないものというべきところ、右義務違反の態様はまさに賃貸借における信頼関係を著しく破壊するものというべきであるから、これを理由に賃貸借契約を解除するには原状回復の催告をなすことを要しない。しからば、原告が被告に対し、昭和二九年二月二日到達の内容証明郵便による書面をもつて被告の右保管義務違反を理由に本件賃貸借契約を解除する旨の意思表示をなしたことが当事者に争いない以上、本件賃貸借は昭和二九年二月二日限り終了するに至つたものといわねばならない」

二、第一審判決が上告人、被上告人間の本件賃貸借契約について無催告解除を有効と認定した理由はその説示きわめて簡略であるが、判文からみて、昭和二七年四月二五日最高裁第二小法廷判決(民集六巻四号四五一頁)および昭和三一年六月二六日最高裁第三小法廷判決(民集一〇巻六号七三〇頁)(以上右二個の最高裁判例を本件最高裁判例という)の理論に従つたものであることは、推測に難くない。

しかし、右の判例理論は、大審院の判例主流(例えば、大判昭和七年七月七日、民集一一巻一五一〇頁)ならびに従前の通説(末川契約総論二一八頁、末弘債権各論二四五頁、鳩山債権法各論上巻二一二頁等)と見解を異にし、学者もこれに批判的であるか(我妻法学協会雑誌七二巻六号六九〇頁)、反対(幾代民商法雑誌二八巻六号三九九頁、野田民商法雑誌三五巻九二頁)である。またこの理論「賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめるような不信行為」という基準が抽象的であるため、安易にこの理論が持ち出され、賃貸借の実際の面で紛糾や混乱を生ぜしめている。

上告人は、右の判例理論は、第一に形式的にみて実定法と矛盾し、肯定し得ないのではないかと考える。第二に実体的に検討するも、賃貸借を規律する規範として妥当性を欠くのではないかと考える。結局、本件最高裁判例の理論に準拠し、本件事案について、無催告解除を有効とした第一審判決、これを引用する原判決の判断は、民法五四一条、六一二条等の解釈、適用を誤つたものと考えるのである。

三、(一) 本件最高裁判例理論は、以下に記す理由により、実定法の解釈上肯定し得ない。

(二) 本件最高裁判例は、「(1)賃貸借は当事者の信頼関係を基礎とする継続的契約であるから、(2)賃貸借の継続中に当事者の一方にその義務に違反し信頼関係を裏切つて賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめるような不信行為のあつた場合には、(3)相手方は民法五四一条所定の催告を要せず賃貸借を将来に向つて解除することができる」という。右の判例は、賃貸借について、(イ)前記(2)の事実を要件事実とする全く新たな賃貸借契約の解除権発生原因を認めた趣旨か、(ロ)それとも、民法五四一条の解釈、適用として構成された理論であるのか、必ずしも明らかでない。

(三) しかし、もし(イ)の趣旨であるとすれば、実定法に根拠を見出し得ないのみならず、それと矛盾する。また、もし(ロ)の趣旨であるとすれば、民法五四一条と六一二条、六一六条、五九四条三項との関連できわめて無理な解釈ではあるまいか。現に、昭和三一年六月二六日判決は、上告理由が「原審が民法第六一二条の法意により直ちに賃貸借契約を解除しうるものである旨判示したのは、同条の解決を誤つたもの(中略)であり、破棄を免れない」と主張しているにも拘らず、右の点について何ら判断を示していない。

(四) そもそも、民法は、賃貸人が賃借人の債務不履行を理由に契約を解除する場合、原則として五四一条所定の催告をなすことを要するものとした(このことは、前記最高裁判例もその判文からみてこれを否定していないのであろう)、すなわち、民法は、賃借人に債務不履行があつても、賃貸借の解消という事態(それは多くの場合賃借人に不利益をもたらすものであるが)を発生させる以前に一応賃貸人に催告をさせ、債務の存在を忘却しているかも知れない賃借人の注意を喚起し、またそうでない賃借人については債務を履行するよう翻意を促かし、すでに成立して存在する賃貸借の破綻という好ましくない事態の発生の防止に慎重を期したのである。賃貸物の用途違反(民法六一六条、五九四条一項)という賃借人の債務不履行についてさえ、民法は、契約の解除に催告を必要としている(民法六一六条は五九四条三項を準用しない)。

右の原則に対する例外として、民法が無催告解除を認めているのは、わずかに無断譲渡、転貸を理由とする解除のみである(六一二条)。

前記最高裁判例は、右各実定法の規定との関係をいかに解し、それと調和せしめて、その理論を構成しているのであるか、理解し難い。

四、(一) 最高裁判例理論は、実体的にみて、賃貸借を規律する規範として妥当性が欠けている。

(二) 前述(三の(二)の(1))のとおり、本件最高裁判例は、「賃貸借は当事者の信頼関係を基礎とする契約であるから」、不信行為があつた場合、相手方は無催告で解除し得るという。賃貸借が「信頼関係」を基礎とする契約であるとする規定は、一応正当であるが、賃貸借における当事者の「信頼関係」の内容ないし程度については、吟味を要する。信頼関係といえば、債権、債務で当事者が結ばれているすべての契約が信頼関係に立つている筈である。ただ契約の種類、態様により信頼関係に質的な相違、また濃淡があることは争えない。委任や雇傭は、純粋に人間的な信頼で色濃く結ばれている契約である。だから、これについては、権利の不可譲性(雇傭について民法六二五条)、非相続性(委任について民法六五三条)、自由な解約権(雇傭について民法六二八条、委任について民法六五一条)が認められている。使用貸借や賃貸借は、物の占有、使用が契約の中核をなす客観的、経済的なものであつて、委任や雇傭に比し純粋に人間的な信頼関係は薄い。そこで、民法は、これらの契約については、非相続性(民法五九九条)や不可譲渡性(民法六一二条)を認めるに止めている。民法が賃貸借や使用賃借について委任や雇傭について認めているかなり自由な解約権を認めていないのは「信頼関係」の内容と程度について、明らかに両者の間に差違があることを看ているからであつて、民法は、賃貸借の解除については、無断転貸、譲渡(六一二条)を除き、すべて五四一条によらしめていると解すべきである。本件最高裁判例が、単に「賃貸借は当事者の信頼関係を基礎とする契約」であるからという理由だけで、それと委任や雇傭との間の「信頼関係」の内容と濃淡の差を全く無視して、また民法五四一条の規定の適用を排除して、無催告解除を認めることは、正当でない。少くとも、その説示する理由だけでは理解し難いのである。

(三) また、本件最高裁判例は、「賃貸借は継続的契約であるから」、不信行為があつた場合、相手方は無催告で解除し得るという。判例の右規定も一応正当である。しかし、抽象論は兎も角現実論として無催告解除の判例理論を根拠として、相手方の不信行為を理由に賃貸借の解除を主張するのは、常に賃貸人であつて、賃借人ではない。賃借人は、賃借物を自己の生活の本拠または生計の資を得る基礎とし、賃貸借の上に生活を築き上げている。そして、賃貸借が継続的契約であるという事実は、賃借人にとつて重要な意味がある。賃貸借が継続性を有すればこそ、賃借人は安んじて賃貸借の上に生活を築き得るからである。借地法(四条ないし一一条)および借家法(一条ないし五条)が、賃借人保護の社会政策的見地から賃貸借の維持、存続を企図していることは、多言を要しない。賃借人にとつては、賃貸借が継続的契約であるがゆえに、それが維持、存続されることが望ましいのである。仮りに、賃借人に不信行為があつても無催告で、賃貸借が解消されることは、賃借人にとり不利益である。本件最高裁判例が、賃貸借が継続的契約であるが故に、不信行為があつた場合、相手方は無催告で賃貸借を解除できるとするのは、現実的に賃借人の前述のごとき立場について理解がなく、借地法や借家法の立法精神にも逆行する。

五、(一) 最高裁判例は、無催告解除の要件として、当事者の一方が「その義務に違反し、信頼関係を裏切つて、賃貸借関係の継続を著しく困難ならしめるような不信行為があつた場合」という。最高裁判例が右にいわんとするところは、「賃貸借は、委任や雇傭と比較するとき、たしかに純粋に人間的な信頼関係は薄い。それゆえ、単なる債務不履行については、民法五四一条によつてのみ解除し得るのであるが、もし、行為が、債務不履行を構成する(客観的要件)ほか、右の行為が相手方との「信頼関係を裏切り」、「賃貸借の継続を著しく困難ならしめる不信行為」という性格のものである場合、換言すれば、行為者の心理的容態が違法性を帯びている場合(主観的要件)には、無催告で解除し得るとする」趣旨であるかとも解される(この点について、最高裁のより具体的な、理解し易い説示が望まれる)。そうとすれば、最高裁は、債務不履行という客観的要件と不信行為という主観的要件とを組合せて、賃貸借の新たな解除原因を構成した(五四一条の解釈としてであつても、そういえる)のであるが、賃貸借という物の利用を主体とする経済的な法律関係に、道義的、主観的要素を取入れることは、現実の取引に、無用の紛紗と混乱を招くもので、賛同し難い。

(二) 仮りに、前記(一)の理由付け、あるいはその他の理由により、本件最高裁判例理論が一般論として正当であるとしても、本件事案には妥当しない。最高裁判例は、一は賃借人が賃貸借建物を乱暴に使用し、これを損傷したとの事実に関するもの(昭和二七年四月二五日判決)であり、他はバラック所有のためにのみ使用し本建築をしないこと、同所に寝泊まりしない特約を無視し、賃借人が長年月の使用に堪える本建築を建築して、これに居住した事実に関するもの(昭和三一年六月二六日判決)である。右の事例では、ともに賃借人の違法性ある心理的容態を明瞭に看取できる。仮りに、最高裁判例の理論が正当とすれば、まさにその適用を受けて然るべき事実である。

これに引き換え、本件は、仮りに第一、二審の事実認定が真実であつたと仮定しても(上告人は論旨第二点でこれを争つている)、上告人の使用人がストーブの残灰の取扱かいを誤つたため、その一〇数時間後上告人側の何人も手を施すことを得なかつた深夜火を発して賃借物の一部を焼燬したという事案である。被上告人の無催告解除の書面が上告人に到達したのは、火災の約一〇日後であつて、当時捜査当局、上告人その他何人も火災の原因をつきとめてすらいなかつたのである。仮りに客観的には、上告人の保管義務違反の事実が右火災の原因であつたとしても、上告人には、「被上告人の信頼関係を裏切つて」「不信行為」をあえてしたという主観的要因はない。本件最高裁判例理論によつても、無催告解除が認められる事案ではない。<以下略>

第二点、第三点

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例